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「その子らしさ」を愛おしく思えるようになるまで① 〜『困った子』ではなくて『困っている子』〜

更新日:2025年7月6日


 

1月よりきなこに勤務している加藤です。

 

私の息子は、知的障害を伴う ASD(自閉スペクトラム症)です。

今きなこで働きながら、かつての息子や子育ての日々をよく思い出しています。

 

自分の経験が少しでもお役に立てたら…。

そんな思いで、えがおのたねコラムに文章を書かせていただくことになりました。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

3600gで産まれた息子は、生後すぐに腸の手術をしましたが、その後の経過も順調で、すくすくと育っていました。

初めての子育て。大変だけれど、毎日が充実して幸せいっぱいでした。

ただ、1歳3ケ月で息子が歩きはじめるようになると、少し変わった行動が見られました。



ドアの開け閉めばかりしている。



車のナンバーには興味を示しても、こちらの呼びかけには答えない。


 

今にして思えば、早くから特性が出ていたように思います。

でも、初めての子だったこともあり、私は我が子の行動に特に疑問を持っていませんでした。

ただ2歳を過ぎても言葉がでなかったので、かかりつけ医から、

「発達外来がある病院で一度診察してもらった方がいい。」

と言われました。

この時期にちょうど夫の転勤があり、一家で所沢市へ引っ越しました。

そして、自宅近くの病院に発達外来があることを知ります。

 

知らない病院での初めての診察。ずっとバギーから降りず泣き続ける息子。

「今日だけでは判断できないので、来週また来てください」

と、先生。翌週の診察でも同じように泣き続ける我が子。

その様子を見て先生は、

「発達障害だと思う。たぶんこの子は普通級に行くのは難しいでしょう。」

と言いました。

突然の診断。診察室を出て号泣したのを昨日のことのように覚えています。

 

息子はその後、

かしの木学園(1年)→松原学園(3年)→小学校支援級(知的クラス)→中学校支援級(知的クラス:現在)に通っています。

それなので、この時の先生の見立てはあっていたのですが、当時の私は、

「まだ2歳半なのに。これから成長していくのに何がわかるのだろう。」

と、納得いかない気持ちでいっぱいでした。

 

その後、大きくなるにつれ、ますますこだわりは増えました。

・布団をほしただけでパニックになる。

・外出してもバギーから降りることができない。

・かんしゃくでたたいてくる。

 

そんな息子と過ごす毎日は、いつ爆発するかわからない爆弾を常に抱えているようでした。

家の中でも外でも本当につらい日々が続きました。

あまりにもこだわりやパニックがひどかったので、保育園や幼稚園は一切考えられず、2歳児クラスで「かしの木学園」に通いました。

(「かしの木学園」は、児童発達支援の施設です。週3回母子で通いました。)

 

身体の障害がある子。ダウン症の子。

様々なお子さんがお母さんといっしょに通います。

集団生活が始まったことで、私はよりわが子の違いに気づかされました。

・お散歩では、違う道に行けない。

・粘土など全くさわらない。

・芋ほり遠足では、畑でパニックになる。

 

「他の子はみんなニコニコと楽しんでいるのに、どうしてこの子だけいつも泣き叫んでいるのだろう…。」

そのころの私には障害の知識がなく、息子の生きづらさの原因がわかりませんでした。

 

そして、園庭で園長先生と話している時に、

「我が子が可愛いと思えない!」

と言いながら、泣いてしまったこともありました。

 

そんなつらい日々を過ごしていた時、父母室に秩父学園(国立の福祉型障害児入所施設 ・そこの通園部)のOT(作業療法)のチラシがおいてありました。

 

「OT?作業療法??よくわからないけど行ってみよう。」

『この子をなんとかしてくれるなら…。』

わらにもすがるような思いで通い始めました。

 

ブランコ・ボールプール・カラーブロック…。

それらがある広い部屋で自分勝手に走り回る息子。

半年通っても、全く先生との関係ができません。

 

ある日先生が、赤い大きな箱を電車に見立て彼を乗せようとしました。

激しく嫌がる息子。そして、パニックになり、先生の手を叩きました。

その時に先生がつぶやきました。

「何一つ譲る事ができないんだね。生き辛いね…。」

 

その言葉に、「はっ」としました。それまでは、

「なんでこの子はこんなに大変なんだろう。」

と、自分が被害者のような気持ちでいました。

だけれど、先生の言葉で、

『誰より辛いのはこの子自身なんだ。』

ということに気づかせてもらったのです。

 

「自閉症の特性」として紹介された、パトリシア・ハウリン先生(臨床児童心理学教授)

の言葉にこんなものがあります。

 

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もし自分の周囲で起きている事の意味が理解できず

 

自分が周囲の人たちに伝えたいと思う事の伝え方が分からず

 

さらにその状況がどのように推移していくのか、 という見通しを立てることも出来ず

 

その上その困難な状況を脱却するための想像力を失っているとしたら

 

あなたは一体どのような反応や行動を示すことになると思いますか?

 

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きっとこの頃の息子もこんな思いだったのでしょう。

 

『困った子』ではなくて『困っている子』なのだと改めて感じました。

 

次回は、そのOTの先生から教わった、「大切なこと」についてお伝えさせて頂ければ。と思います。

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